活動報告

卒業生が語る(第1回):『明治の良いところ』

2014年01月14日

トピックス

この企画は、本校の良さを卒業生の声から綴り、残していく企画です。

専門学校は創立から早80年を過ぎ、今後益々本校を発展させるべく、草創の先輩方の“想い”を記録し、残して行きたいと考えました。「根ふかければ枝さかへ源遠ければ流長し」の如くに。
本校に縁されるすべての方に、学校に「思い入れも持ってもらう」ため、今回の企画は意義あるものと思っております。

今回登場して頂くのは、1期生(昭和36年卒)小原圭三 先生です。
小原先生は教職時代、教員養成施設の初代施設長、初代教員養成学科長などを歴任された、明治の歴史を語るにふさわしい人物のお一人です。

以下、インタビュー内容です。

また末尾に小原先生からの寄稿(pdf)もございます。是非こちらもお読み下さい。

 

卒業生が語る:『明治の良いところ』

聞 き 手:今回の企画にご賛同頂き、誠にありがとうございます。今後の学校発展のためにも、是非とも、先生が想われる、学校の良いところをお聞かせ下さい。よろしくお願いいたします。

小原先生:こちらこそよろしく。端的に言って、明治の良いところは、私が想うところは3つあります。一つは、先生方の熱意です。学生にとって、学校で一番に接するのは先生。その先生方の教育に対する意気込みがすごかったです。そして、その意気込みを支えていたのが「~せねばならぬ」、という想いだったと想います。

聞 き 手:その「せねばならぬ」事とは、何だったのでしょうか?

小原先生:故山崎初代校長の“遺志”を継ぐ、ということです。

聞 き 手:では、その“遺志”とは何でしょうか。

小原先生:山崎先生は、高知県から神戸に出てこられ開業され、大変はやっていたそうです。しかし、身分的にかなり下に見られており、この身分制度上の不合理を改革するには、鍼灸を医学として学問上の進歩と教育が大事だと痛感したそうです。それも医師並みの高度な鍼灸教育が急務との考えを持たれました。そして、鍼灸の向上発展は鍼灸専業者によってなせる、と主張されておられたそうです。

聞 き 手:なるほど、そうでしたか。とても高邁な志を持たれておられたのが、初代校長の山崎先生なのですね。

小原先生:そうです。そして二つは、家族的な学校、ということです。新しくできた学校だから、学生の数は多くはなかった。老若男女いて多彩で個性的だったな。先生方は、私たち学生に親しく接してくれていました。家族的な雰囲気があったと想います。それが明治の良さですかね。

聞 き 手:教員と学生という関係性の中での家族的な雰囲気が漂う学校、とても大事なことかと想います。そこに学校文化があったのですね。

小原先生:三つに、おもてなしの心と姿勢です。学校を初めて開設する際、視察に来た厚生省(当時)の役人の学校評価にまつわるエピソードがあります。それは、学校の視察が終わり、学校関係者との応接室でのことです。役人の方から、「施設や設備は勿論ですが、殊に、女子職員が絶妙なタイミングで、お茶を出してもらいました。女子職員にまで指導が行き届いている学校に対して、何も言うことはありません」、と大変な好評を得ました。「女子職員の働きが良かったから、学校が認可された」、というのが当時の語りぐさでした。

聞 き 手:その心は、今も引き継がれていると想います。それでは最後になりますが、小原先生から私たちへメッセージを頂ければ幸いです。

小原先生:私の願望を言って良いですか。教育という事業は、まことに不思議なものです。かつての阿倍野の学校で山崎先生が、僅かな職員達と共に、燃えたぎった心の灯を学生ひとり一人に灯し続けた無償の愛。それは、ちょうど谷間を流れるせせらぎの水が、一度は地下水となって地底に沈みましたが(廃校時期)、やがて湧き水としてフツフツと涌きだし、そして大河の水となって再現し(学校再建)、そうして、今日の明治東洋医学院があります。今、4年制の大学で教育が行われ、研究者を輩出する大学院(修士課程・博士後期課程)を有しています。山崎先生が描かれた環境は整いました。先人たちが悲願とした「治効理論の確立」という合い言葉が明治の伝統となっています。鍼灸技術を確固たる科学的基盤の上に体系づけ、理論づけて、他からとやかく言われないまでの業績と学術的根拠を作り上げることが望まれます。そして、医療界の変革に繋がればと願います。

聞 き 手:今日は、とても貴重なお話を頂き、大変ありがとうございました。

小原先生:こちらこそ、ありがとうございました。

※インタビュー:平成25年12月5日(木)
(聞き手・文責:河井正隆)

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